岩村町観光案内MAP
岩村町本通り 重要伝統的建建物群保存地区

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岩村町本通り重要伝統的建造物群保存地区は、平成10年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。面積は約14.6ha、東西延長約1.3kmの細長い地区です。ほぼ中央にある桝形から東側は、旧城下町のうちで商家町だった地区です。現在は江戸時代の建物はほとんど改造されていますが、もとは二階部分の低い「厨子二階」といわれる造りのものも多く、南北に長い敷地割り、切妻・平入りで、往時の姿が偲ばれます。
桝形から西側は、江戸時代末期から順次形成され、明治39年(1906)の岩村電気鉄道開通とともに発展してきた町並みといわれます。明治以降一般的な傾向ですが、家屋は二階を当初から居室とする軒が高い造りとなっています。
岩村城跡
岩村城は鎌倉時代(1185年)に築城されました。大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる城で標高717mの山頂にあり、城下町を見下ろし、四方の山々もー望にすることができます。天然の峻険な地形をよく利用した要害堅固な山城で、江戸諸藩の府城の中では、もっとも標高の高いところに築城されており、しかも明治維新まで存続したのが、この岩村城です。
歴史資料館
城山の山麓にある当館は、藩主邸跡に開館(昭和47年)。二階建ての館内には、岩村の歴史が凝縮されています。
TEL:0573(43)3057
民俗資料館
草屋根風の民俗資料館は古い民家をそのまま移築されたものです。先人の生活を偲ばせる数々の民具は生活に知恵と技を教えてくれます。
下田歌子勉学所
明治から昭和にかけ、日本女子教育の先覚者として活躍した下田歌子先生が幼くして勉学に励んだ建物。
知新館(正門)
城山の麓に建つ知新館は、林述斎、佐藤一斎など、数々の偉人を世に送り出した藩校です。元禄一五年(1702年)松平乗紀によって創立され、全国的に見ても最も古く、十指に入ると言われています。
御殿茶室
文化人藩主といわれた松平乘紀によって宝永年間(1707年頃)に創設され、岩村を訪れた要人や文化人はここで「静・寂」を求めました。
木村邸資料館
敷地内には、二棟を一棟に改造した主屋と二棟の土蔵が建つ。木村氏は五代弥五八の時に藩の御用達職に任ぜられ、名字帯刀を許されました。主屋には藩主を迎えるための玄関と書院を設け、有力な町人であったことがうかがわれます。主屋は当初板葺石置屋根で、開口装置は摺上げ蔀戸・跳上げ大戸であったと思われます。
工芸の館 土佐家
敷地内には主屋・離れ座敷・土蔵・染工場の四棟の建物が並ぶ。主屋は祈祷札や文献などにより、安永9年(1780)以降、文政4年(1821)以前の建築です。一階部分の間取りは当初の姿をほぼそのままに伝えています。二階は、当初は表通りに面した南側だけでしたが、後世の増設による北側座敷も残して復元しています。
鉄砲鍛冶の家 加納家
初代の加納伝左衛門包房は文化11年(1814)岩村藩主松平乘保に三石二人扶持で召し抱えられました。初代が槍、鳶口、刀などの武器を鍛造した記録が残されており、鉄砲については天保2年(1831)に鋳造されたと言われています。建物は、当初は板葺石置屋根。二階の傾斜窓・塗籠は後世の改造ですが、目を引く意匠となっています。
浄光寺
藩主松平家の国替えに従って、始祖・内田祐正は慶長6年(1601)岩村へ移り住みました。移築や火災を経て、現本堂は明和6年(1769)の再建で、現在では全国的にも数少ない置屋根土蔵造の建物です。当初は柿葺きであったが、後に瓦葺きとされました。伽藍は山門・本堂・経歳(安永8年(1779)築)・庫裏などから成っています。
浅見家
主屋は18世紀末から19世紀初期のものと推定され、当初の板葺石置屋根、大戸、蔀戸の痕跡が残されています。浅見家は幕末三代に亘り庄屋を務め、八代与一右衛門の時には名字帯刀を許されています。九代与一右衛門は、明治になって衆議院議員を務め、また銀行設立、岩村電気鉄道株式会社設立など岩村町の発展に尽力しました。
江戸城下町の館 勝川家
勝川家は山林と農地を多く所有する商家として幕末に台頭し、藩財政に貢献しました。東の主屋は、施工状況から見て隣接する浅見家の主屋よりも古い建物です。敷地内には大正〜昭和初期の離れ座敷、江戸時代の土蔵、岩村城郭の払い下げと思われる四戸前土蔵および長屋門蔵が残されています。